2005年09月10日
叱るという事
叱るという行為は、叱られる側の為を思ってなされるべきだ。
だから、基本的に叱られる側に納得できるものでなければいけない。
(k1さんのエントリーを見て思うところ有ったのでまとめました。)
近年、叱るという事が段々難しくなっているように感じます。
勢い余って手を出せば、体罰やら暴力行為の名称が付いてくる。
確かに、大部分の実力行使は、止めるべきですが、
叱る為の最小限の(止むを得ない)実力行使は許されるべきだと思います。
しかし、個人的には、怒るではなくて、叱るという言葉を使うからには、
相手の為を思ってでなければいけないと思います。
暴力と懲戒の境目がそこに有ると思います。
暴力は、自分の感情のみでの実力行使。
懲戒は、相手も最終的には納得できる実力行使。
そうでなければいけないと思います。
叱るという事は、叱る側が叱られる側の人生に関係するという事です。
叱る側もそれだけの覚悟を持って叱るべきですし、
叱られる側も、どれだけ自分の事を思っての事かきちんと見極めるべきだと思うのです。
言ってみれば、叱った後に、肉体的にも精神的にも充分にケアする責任が、
叱る側にはあると思います。
その責任を充分に果たすならば、多少の実力を伴う懲戒行為はある程度容認するべきだと考えます。
というよりも、本当に相手の事を思って叱っているならば、
そんなに酷い事は出来ないはずですが。
つまり、叱るという事は、その前後のケアも含めて考えるべきであり、
結果的に相手にとっても良い影響を与えるもので無ければいけないのだと思います。
(そう考えると、自分も人の事は言えませんが。)
良い叱り手が最近少ないのは、情けない事だと思います。
投稿者 桜川 : 2005年09月10日 01:29
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